源さんが「婿さん」だというのは本人からも聴き及んでいたが、死の淵を彷徨っているという旦那の病状や心配を通り越してこの奥様は次の儀式を心配するというのか?返答に応じる前に私は心中で怒りを覚えていた。驚くべき回復力でその時の源さんは退院出来たのである。葬儀の相談に来られた奥方を先に旦那の源さんが送ることになったのである改善膚質。奥方を亡くした寂しさを受け止めながらも頑固を貫いて親戚や他人の世話を断わり単独の最終章を選んだ源さんであった

明治生まれの源さんは東京下町育ち、少し小柄な5尺男だが気風が良く、昔気質で活動写真のブロマイドに現れそうな美男子だ。時に照れ屋の江戸っ子でもあった。何処へ行くにも半纏を身に着け足袋と雪駄が似合っていた。若者たちは時代の遺物の様な陰口を言うが私はそのスタイ

ルが好きだった。刀剣や刀装具・書画骨董に知識と相応の鑑識眼を持つ人であった周海媚 膠原抗老槍。源さんは車の免許を持たなかったので近場の往来はいつも自転車だった。

時々買い付けなどで私と行動を共にするとき、私には食事代もお茶代をも一切払わせない。

此方が気を配って知られないうちに支払いを済ませたりすると『そんなことをするなら今後の付き合いを止める・・』と言い張って困らせるのである。印伝(鹿皮)の革財布(紙入れ)・・18金の鎖に金無垢の「キンツレー」製懐中時計が光って見えるお洒落な源さんでもあったreenex膠原自生

既に昔話だが私の趣味が高じて始めた片手間の骨董屋に看板を揚げた開店の初日・・一番に顔を見せてくれたのが源さんであった。特注ものと思しき「総欅製、玉杢の化粧箱」は余程旧家の子女が所持したものゝようである。美しく上品な仕上がりで抽斗の取っ手・金具は赤銅地に片切り彫と毛彫りの金色絵で加工・・花菱紋が彫られ、潮汲み図が描かれていて上物の船箪笥という体裁だ。指物師だった源さんの目に留まったのであろう。